他に吐露する場所も相手もいないので、ここに記す。

昨年の今頃だったか、急遽誘われて彼女の好きなアーティストのコンサートに付き合った。私もどちらかといえば好きだったし、何よりも彼女と久々に会えるのが嬉しかったから。

コンサートの後、渋谷のビルの上、彼女が予約しておいてくれたすき焼き屋さんで夜ご飯を食べながらあれこれお話。

帰り、すっかり遅くなった時間にセンター街を歩く私たち。
「なんだか悪い子みたいだねぇ」「そうだねぇ、悪い子だねぇ」といって大きな声で笑いあった。楽しかったなぁ。

私たちはきっとこの先、おばあさんになっても、こうして会って、笑いあうのだろうな、と思っていた。

昨年12月に久々に再会した時、屈託がなく無邪気で、伸びやかな彼女とは別人のようになっていた。

相当具合が悪いということは、自分自身も経験があるから、痛いほど良く分かった。
おこがましい言い方だけれど、私じゃなかったら、彼女の様子にかなりイライラしたと思う。

会話もままならなかった。途切れがちな会話。とんちんかんな応答。
不眠が続いているとのことで、目の下のクマばかり気にし、一緒に歩いていても、お店に入っても、鏡ばかり気にしている姿に、異常さを感じた。
それでも、律儀で真面目で私に気を使ってくれるところは、変わりがなかった。
上品で清楚なワンピース。彼女のお気に入りのパトリックコックスの小ぶりのハンドバッグ、お財布。ポールスミスの愛らしい腕時計も変わりなかった。


大丈夫、治るから。私もそういう時期があったんだよ。ほんとに良くわかる。
時間はかかるけれど、治る。完治は簡単ではないけれど、治る。
そう伝えると、「治るのかなぁ。よく乗り越えたね。私、治るのかなぁ」と繰り返していた。

自分の状態を把握しておらず、混乱しているようだった。
きちんとした診断を下され、きちんとした治療をしているようではないような印象を持った。
はっきり言えばよかったのかもしれない。「貴女は今、病気で、それもけっこう重症なのだから、いろいろできなくて当たり前。」
傷付けてしまいそうだったから、言わなかった。


今年の年賀状は遠慮した。毎年、律儀に年賀状を送ってくる彼女だが、あの様子だと今年はないだろうと予測していたから。こちらから送れば、返事を書かなくてはと思わせてしまい、彼女の負担になるから。

1月の中旬過ぎに、「寒中見舞い」にかこつけてメールを送った。
その日のうちに「この前お会いした時よりも調子は良くないです」と返事が来た。
この前より悪いというのは、これはただ事ではない。
実家に戻るか、入院すべき状態なのではないか、と大げさではなくそう感じた。12月の段階で、それくらい彼女の状態は良くなかったのだから。
最悪の事態まで本気で考えた。
これは危ない、本当に危ない。

自分に経験があったことから、ちょっと知識があるとはいえ、私の立場はただの友達で、素人にすぎない。
あれこれ口出し手出しするのは、特にこうした病の場合、慎重にすべきなのだ。


メールへの返信はしなかった。きっと負担になるだろうと思って。
様子を見よう、おうちの方々がサポートしているのだろうから、そうだ、3月のお誕生日にかこつけて、またメールを送って、できれば会おう、と決めていた。
次はどこへ出かけようか。
彼女の好きそうなもの、喜びそうなもの、心身の負担にならないもの。いつもそれを考えて、プランを練っていたのだ。


最悪の事態の予測、予感。縁起でもないことを考えた自分。
ほんとにそうなって欲しいなんて、思うわけがないじゃない!

誰が悪いわけでもないのです。
もちろん、彼女が悪いわけでもない。


美し過ぎたのですね。
外見もとっても綺麗だった。心も。宝石みたいな人だった。
美し過ぎて、堅過ぎた。
美しい生を貫こうとすれば、それはそれは辛いのですよ。


私自身は、いっぺん壊れた時、死ではなく、片足を醜い世界に突っ込みながらも生きて行く方を選んだ。
今の貴女になら、それらも全て見えているのでしょう。
そういうことなんです。


大好きでした、愛していました。
一緒にお出掛けする人が居なくなっちゃった。
貴女としかできなかった楽しい会話、全て、何もかも。

「さようなら、美し過ぎた人」だなんて、気取ったタイトル付けてみたけれど、まだ信じられないの。

春先、どこのアフタヌーンティーに行こうか?
まだあんまり食べられなかな?


ごめんなさい。涙が止まりません。

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