よくいわれることだけれども、自分の言葉でメモしておこう
今日からお彼岸だから、というわけではないけれど。

「どう死にたいか」
これを念頭に置くことで、どう生きるか、どう過ごすべきか、はっきりしてくると思う。

自分の理想に近い死を迎えるために、将来にわたって、ある程度心身をコントロールできる余地がないといけない。
病に倒れようと、老いようと。

だったら、常日頃、どう生きるか。


老いて身動き取れなくなってどうこうして死ぬと、安易に考えていないだろうか?
病院や施設、家で死ぬんだろうなぁ、とか。

死をもっと自分にとって真実味を帯びたものとしてとらえなくていはいけない。

働き方を選ぶとか、生き方を選ぶとか、声高に叫ばれる昨今だけれど、誰も「死に方を選ぶ!」とは言わない。

(「自殺」は選択肢の一つではありません。選択の放棄ですからもったいないからダメ)


芝生に寝転んで、空を見上げながら死にたい。
気持ちいいだろうなぁと思う。
死は人生においてとっておきの快楽なのではないだろうか、そうであるべきなんじゃないだろうか。

そう、芝生。土を背に、空を仰ぎ見て。
肉体は地に還るようで、魂は空に還るような感覚を得られるのではいかな
土の温かさを感じながら、眠ったまま死にたい。

誰かに看取られることがそんなに幸福なことだろうか
立派な墓は、墓を建てた人たちの満足のためだけではないだろうか

虫や鳥が自分の死体を食べて栄養にしてくれたら、無駄が無くてよいのではないだろうか


賢くなったつもりでいて、私たちはますます死に方を選べなくなってきているのではないだろうか。

誰にでも等身大の死を。
自由な死を。
最後にご褒美的な快楽を。

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